市民ライター取材記事

 

市民ライターは、活動参加を通じた学びや発見、参加者ご自身の目線で感じた森への関心を記事にしていただき、こうして皆さまにご覧いただくことで、等身大の森への関わりを広くお伝えすることを目的とした取り組みです。

森と人がつながるコンテンツのひとつとして、2018年度よりスタートしました。

~~ 2018年度 取材記事 ~~


【 炭焼きは、山村の生活文化 】

 

高島市朽木地区には、かつて、どのくらいの炭焼き窯が存在していたのだろう?という興味は、朽木の谷に入り、窯跡を目にするたび大きく膨らみ、すべての窯跡を記録したいと思うほどである。

雲洞谷集落を流れる北川の支流、大谷川。その支流には、多くのトチやカツラをはじめとする巨木が残っており、保全活動のために入山すること10年。ここでもまた、たくさんの窯跡を確認してきたのである。その窯跡を目にするにつけ、先人の知恵と工夫に驚かされる。窯跡は、谷の底部から一段上がった場所に作られており、洪水にも破壊されることなく長い年月を経てもなお美しい石積みの姿形が残っている。

 

 

 

そんな折、「朽木・雲洞谷のお父さんに聞く炭焼き勉強会」が、たかしまの森へ行こう!プロジェクトの取り組みで開催されると聞き参加した。

生活様式の変化に伴って、炭の需要は減少の一途をたどり、その技術も薄れようとしていると聞く。そんな中で、炭焼き技術を継承し、地域活動や学びの場に活用していこうという

動きに共感した。

雲洞谷は、びわ湖水源の森であり、人がこの森に入ることにより山も森も川も健全に維持され、生物多様性など意識せずとも自然に生物多様性が存在し、人もまた、森に生かされてきたのである。

 

さて、集合、挨拶、自己紹介が終わると、雲洞谷で炭焼きに取り組まれる「まるくもくらぶ」より、いよいよ炭焼きのお話が始まる。

昨年、雪が消えた4月、幅約2.5m、奥行き約2mの窯新設に着手。地盤固め、煙道口づくり、そして421日には石積みが完成。5月18日にはトタン張りの屋根完成と、代表の井上岩夫さんの説明が続く。参加者の皆さんは熱心に耳を傾け、スライドを食い入るように見ている。質問タイムでも質問が矢継ぎ早に飛び交い、午前の部が時間いっぱいとなる。昼食は、郷土のお惣菜で作ってくださったお弁当に舌鼓。一人1個あての「つきたてとち餅」に、皆さんのもう一つたべたいなぁ。そんな表情が!とち餅ファンとしては、嬉しいことこの上なしである。

 

 さてさて、食後は待望の炭焼き窯見学である。炭焼き窯は、食事をした雲洞谷集会所から北へ、大谷林道の出合を過ぎて、道が右岸から左岸に渡る橋の手前の農道を少し入ったところにある。聞いたばかりの炭焼きの話を辿るように、それぞれが興味深い様子で窯の中を見せていただく。

 

ここで焼かれた炭が「朽木市場日曜朝市」に並ぶ日も近い。満開の梅が地元の活動を励ますかのように日の光に輝いていた。

 

【 この記事の市民ライター 】

 

高島市マキノ町在住、小松明美です。

2008年に起こった高島市朽木でのトチノキ巨木伐採(違法伐採ではありません)を機に、源流の森に残されてきたトチノキの保全活動に取り組んでいる「巨木と水源の郷をまもる会」に2009年に入会し、初代 青木繁会長の後を受け、現在、当会の代表を務めさせていただいています。


【 炭焼き窯に灯る伝統 】

 

 2019年3月9日(土)、高島市朽木雲洞谷地域で「朽木・雲洞谷のお父さんに聞く炭焼き勉強会」が開催されました。

2018年に炭焼き窯を再築した、「まるくもくらぶ」の井上岩男さんが話し手となり、県内外から約30名の参加者が炭焼きについての話を聞きました。

 

 お話では、窯作りの様子を工程ごとの写真とともに詳細に解説していただきました。まるくもくらぶで炭焼きを行うメンバーは60代から70代半ばのまだまだ元気なお父さんたちです。その多くは、幼い頃に炭焼きを見たり、ときには手伝いをした記憶がありましたが、最初から窯をつくるのは初めてだったそうです。

 解説が終わると「便利口はどういうふうに塞ぐんですか?」「炭に使う木を切る季節としてはいつがいいですか?」など、炭焼きに関する質問が飛び交い、参加者たちの熱意が伺えました。

 

 昼食をはさみ、いよいよ再築された炭焼き窯の見学です。窯は屋根で丁寧に覆われているので遠目では目立ちませんが、近寄るととても存在感があります。幅が2.5m、奥行きが2m、高さが1.3mあり、一度に25俵ほどの炭を作ることができるそうです。最近、炭を出し入れする便利口の蓋を空けたばかりで、赤みを帯びた窯の土にほんのり暖かさが残っていました。

 

特に印象的だったのは、炭焼きの復活へ突き動かした「伝統をつなぐことに対する思い」です。復活に至った理由として、井上さんはこのように話しています。

「わたしらの子どものとき、昭和30年頃が炭焼きの一番の最盛期で、雲洞谷は滋賀県でも2番目の生産量だったそうです。その頃は山のあちこちから白い煙があがっておりました。昔の窯の技術がこのままではなくなるということで、いま元気な方がおられるうちに、そういう技術を身につけて、次につなげていこうかというような思いではじめました。」

 

石油やガス、電気などが急速に普及する1950年代以前までは、炭は生活に欠かせない重要な燃料であり、炭焼きもまたその燃料供給を支える大切な仕事でした。面積の91%を山林が占め、林業や炭焼きを生業としていた雲洞谷では、仕事を通して森や自然と深くつながりながら生活をしてきたことが伺えます。生業の変化によって、雲洞谷で育まれてきた技術や知恵は消失の危機に瀕しています。その技術や知恵の背景には、自然環境と深く関わり合う生活があり、その生活の中には言葉にすることのできない大切な伝統性があったのではないでしょうか。

今回のように話を聞くだけではなく、実際に炭焼き窯を見たり炭に触ったりすることで、まるくもくらぶの皆さんが目に見えない伝統も伝えようとしているのではないかと感じた勉強会でした。雲洞谷産の炭は「まるくも炭」として、道の駅・くつき新本陣の日曜朝市で販売されます。雲洞谷の伝統が長く続いていくよう、これからも応援していきたいと思います。

【 この記事の市民ライター 】

 

長浜市木之本町在住、荒井恵梨子です。

美術大学を卒業後、富山県の金属製品メーカーで伝統産業の商品開発・広報に従事。その後、伝統的な産業での開発のありかたに関心を持ち、2016年より金沢大学大学院文化資源学専攻に入学。現在は滋賀県長浜市木之本町に移住し、研究のかたわら地域資源に関わる活動を模索中です。